院長紹介
院長 野中幸治をより知っていただくために
院長略歴
- 平成5年3月 日本歯科大学 新潟歯学部 卒業
- 平成5年 財団法人 日本歯科研究研修協会(USC日本支部)卒後研修
- 平成6年 日本歯科研究研修協会 霞ヶ関歯科診療所勤務
- 平成11年4月 野中歯科医院 開設
- 平成11年 イエテボリ大学(スウェーデン) 歯周病Continuing Course受講
- 平成15年 日本歯科大学より歯学博士を授受
- 平成15年 日本顎咬合学会 認定医
- 平成18年 日本歯科大学 非常勤講師
所属学会
- 日本顎咬合学会 認定医
- 日本歯周病学会
- 日本口腔インプラント学会
- 日本ヘルスケア歯科研究会
所属スタディクラブ
- CIDクラブ
- 北関東インプラントリサーチ
主な研修会受講歴
- 平成5年 日本歯科研究研修協会 補綴咬合コース(納富哲夫先生)
- 平成10年 臨床実践歯周病コース(岡本浩先生)
- 平成13年 ブローネマルク・インプラントコース(小宮山彌太郎先生)
- 平成18年 ITIマスターコース(勝山英明先生)
- 平成19年 藤本研修会 LOT部分矯正コース(加治初彦先生)
- 平成20年 WDSC 成人矯正コース(日本歯科大学矯正科 遠藤教授)
- 平成24年 SJCD レギュラーコース(山崎長郎先生)
- 平成25年 SJCD マスターコース(山崎長郎先生)
幼少期
私の両親は、前橋市の商店街通りで祖父の代より歯科医院をしておりました。そのため近くに住んでいる小学校の友達の家は、ほとんどが商店をしておりパン屋さんの裏で遊んだり靴屋さんや海苔屋さん、おもちゃ屋さんの軒先で遊んでいました。そのころから自分も何か自営業をしたいと思っていました。近くのデパートの裏には公園があり、表の入り口の他に、建物と建物の狭い路地の抜け道を使って、探検ゴッコをしたりかくれんぼをしたりして友達と仲良く遊びました。私の父は、厳しくて仕事一筋の人でした。診療後、夜遅くまで技工(銀歯や入れ歯作り)をしておりあまり遊んだ記憶がありません。しかしそんな、父の後姿をかっこいいとも思っていました。中学高校時代
中学に入り剣道部に入りました。剣道部は県大会で優勝するような強豪校でした。そのため厳しいトレーニングや、他校への遠征があり精神的に鍛えられました。
高校時代は、テニス部に入りましたが、あまり熱心でなく仲のいい友人グループとだらだらと時間を浪費してしまいました。しかしその時の友人とは、今でも親交があり時々飲みに行っています。 仮装行列の大会に参加した時には、私が率先してリーダーシップをとり、チンドンやさん(いまでは見かけませんが)から兜や太鼓を借りたり、遅くまでみんなで準備を行ったりして、赤穂浪士の討ち入りの行列をしました。楽しかった思い出です。
私の大学は、スポーツの盛んな、先輩後輩の上下関係の厳しい学校で、ゴルフ部に入りました。このころは、まだバブルの頃でゴルフは花形のスポーツでした。とはいっても学生にそんなにお金があるわけはありません。一般的には、ゴルフは、朝9時頃からするものですが、我々は朝4時半からゴルフ場で早朝ゴルフを行い、昼間はキャディーのアルバイトをし、試合の費用を稼ぐものでした。夕方にはまたゴルフをして、7時ごろ日か陰ってボールが見えなくなったら途中おしまいという土曜日でした。ですのでとにかく土曜日は1日が長いです。
真夏には、早朝3時に集合というときもありこうなるともう寝る暇もないです。合宿となると4日間この状態がつづきます。こんな生活を5年間過ごしました。そのかいあって、大会の選手になることもできました。そんな共同生活のなかで先輩からは、メリハリのきいた生活の仕方や1つの事に夢中になる意味を教えて貰いました。
まじめで、規則正しく生活をする家庭環境で育った私にとって疲れるまで夢中に遊び、ドンと酒を飲み、がーと寝る先輩の生き方は衝撃でした。そんなでしたので、最後の1年間は、夢中になって国家試験の勉強にはげみ無事合格しました。